人の成長の過程には誰かの犠牲があるってこと 誰かの犠牲のおかげで私は成長できたのかも
こんにちは
今の会社は全くブラック企業じゃないし、それぞれの意見を尊重してくれる会社。
若い新入社員もたくさん経験させてもらえて、すぐに成長できる。
ミスをしても誰も怒らないし、ミスをしたら次に繋げていこうっていう感じの会社。
私も新入社員の時には本当にたくさんやらせてもらえて今の自分があるって思えている。
裏を返せば、新入社員に色々を経験させてあげられる環境を整えてくれている
先輩がいたって事。
ミスをした時の尻拭いをしてくれていた先輩がいたって事。
その先輩方の存在って本当にありがたかったなぁって思って。
今、私はの先輩方のようになっているかって考えたらどうなのかな?
その子達の尻拭いをするたびに、ため息をついて嫌な顔をしているかもしれない。
その子達に私が長年かけて習得したやり方をなんで簡単に教えてあげなくちゃいけないんだよ。って思いながらやっているのかもしれない。
その子達を教えてこの会社は成長するのか?
その子達の成長はいずれ私を助けるのか?
とか、自己中な考えしか今は出てこなくて、あんまりいい仕事をしていないや。
ちょっと思い出した事がある。
私がまだ大学生だった頃、先輩方がサークルの集まりによく誘ってくれて、本当に楽しくて毎回毎回色んな楽しみ方ができて、遊び方の勉強になった。
人生の息抜き方とか、あるものだけでどれだけ楽しめるかっていうサバイバルな
楽しみ方を教えてもらっていたのかもしれない。
集まりの時のお金は先輩方がいつも多く出してくれていた。
私は先輩方が好きだし、本当に楽しいからお礼したいし、ただ付いていってるだけだし
「割り勘でもいいし、むしろ私が多く出したい」
って言っていたけどもちろん毎回断られていた。
(少しは払っていたけどね)
ある日、また同じようなシュチュエーションの時に先輩が
「俺たちも先輩たちに同じようにしてもらって嬉しかったから、今◯◯(私たちの学年の呼び名)にやってあげられてるんだよ。
◯◯たちもうちらに返すんじゃなくて、次の後輩にやってあげて欲しい」
きゃ〜〜〜〜〜!!!!
本当あの頃の先輩たち大好きだわ!
色々思い出したし、もうちょっと後輩と向き合ってみようかなー